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学びは、社会の中で自己実現するための自然な営み。|田中 征爾

Schooの授業コンテンツを制作する企画ユニットのマネージャーとして活躍する一方で、フリーの脚本家・演出家・映画監督として制作活動も行っている田中さん。自身が脚本・監督を担当した『メランコリック』は、2018年に東京国際映画祭の「日本映画スプラッシュ部門」で監督賞を受賞しました。

「社会の中で自分の『役目を演じる』充実感が、人間の幸福に繋がる」と語る田中さん。そんな彼にとって学びとは、「役目」を最大限果たすために自然と生活に組み込まれた営みであり、それ自体が楽しみや喜びを生み出すものであるそうです。

彼独自の哲学はスクーが目指す「学びによる社会変革」とどのように繋がるのか、聞きました。

田中 征爾 - コンテンツ部門 企画ユニット ユニットマネージャー
1987年生まれ。福岡県出身。日本大学芸術学部演劇学科を中退後、映画を学ぶ為にアメリカはカリフォルニア州の大学に入学。第31 回東京国際映画祭日本映画スプラッシュ部門にて初長編監督作『メランコリック』が上映、監督賞を始め、世界各国で数々の賞を受賞する。2018年に株式会社Schooに参画し、以降コンテンツ企画に従事。
URL:http://jgmp.co.jp/artist/onegoose

新進気鋭の脚本家・田中征爾の誕生と歩み

脚本家を最初に志したのは、中学生の時に見つけた『オンリー・ミー  私だけを』(幻冬舎文庫)という三谷幸喜さんのエッセイがきっかけでした。当時僕は三谷さんのことを知らなくて、本屋さんで表紙が目を惹いたものを手に取ったら、それが面白かったんです。偶然にもその日の夜、彼が脚本・演出を手掛けるドラマが放送されていて、そのドラマもすごく面白くて。「本の人だ!」と驚くと同時に、子ども心に「自分も脚本家としてこんな物語を作ってみたい!」と思いました。

念願通り、18歳になって日芸(日本大学芸術学部)演劇学科の脚本コースに無事合格した僕は、2年間で脚本執筆の基本を学びました。カリキュラム上、3年と4年は先生と一緒に長編の脚本を1本作りあげることになっていたのですが、その時すでに自分たちで学生劇団を作って脚本・演出を手掛けての舞台公演を経験していた事もあり、学校で2年かけて作品を作るより、もっと新しいことをインプットをしたいと思い、3年に上がる前に中退しました。

中退を決めて時間ができた僕は、「ちょっと1回アメリカ行ってみようかな」という自分の直感に従って留学します。専攻も決めず、明確なゴールもなく飛び込んだアメリカでしたが、結果的にこの挑戦は、僕の人生の中で間違いなく正しい決断だったと言えるものの一つになりました。映画はどんな所に注目するといいのか、どういうふうに考えて作るべきかを授業で教わって、その時初めて、僕は映画を本当の意味で好きになった気がします。映画史や三幕構成といった基本的なことに始まり、実際に小規模なチームでの映画制作を通して当時学んだことは、今でも僕の指針となっています。

帰国してからは、ご縁があった人の舞台演出を手伝ったり脚本を書いたりしていました。オリジナルの作品としては、短編映画や一時間弱ぐらいの中編映画を友人たちと三本ぐらい撮りました。でもどこにも発表したりせず、全てお蔵入りです。理由は、僕自身が「こんな作品は人に見せられない」と感じてしまったからに尽きます。「これはもう、記念に俺が保存しておくよ」みたいな。実は結果的に僕の代表作となった『メランコリック』も、本当はお蔵にしたかったんです。でも流石に仲間たちに「ふざけんな」って怒られて、記念受験のつもりで映画祭に応募しました(笑)

脚本家に「夢中」な訳ではない。ただ、「他よりは少し上手くできるだろう自分」に期待している。

改めて、なぜ「脚本家」っていうポジションにこんなに魅力を感じたのか考えてみると、恐らく0→1でストーリーを作れる唯一のポジションだからです。こんなストーリーがあったら面白いなって想像している時が一番楽しいんですよ。

0→1でストーリーを妄想している時って、頭の中でものすごい傑作が出来上がってるんです。ところが実際には自分自身に色々なスキルが足りなくて、撮影して編集して出来上がった作品は、最初に妄想したものには遠く及ばない。「なんでもっとこう撮らなかったんだろう」みたいな後悔ばかりが押し寄せてくる。撮ったものを自分で編集していくうちに、いつも自分の中で作品に対する評価がどんどん下がっていく。これはなかなか辛いですね(笑)

僕の場合は正直、夢中で脚本家をやっているわけではありません。夢中どころか、むしろしんどい。それでもまた作品を作ろうと思えるのは、次はもっとできるっていう自分自身への少しばかりの期待があるからだと思います。世の中のあらゆる仕事の中で、脚本家だったら、他の人よりも少しだけ上手にやれるかもしれない。だから僕はこれをやろう。そういう感覚に近いです。

僕は自分という存在を、社会から与えられた「役目」を持った演者のようなものだと捉えていて、人間はその「役目」を全うできている時に最も充実感を得られるものだと思っています。これを「使命」と呼ぶ人もいるかもしれません。だから「得意でないけど好きなこと」を続けるよりは、時にしんどくても自分が他の人よりも少し得意だと言えることを「役目」として果たした方が、社会に対しても最大限効率良く「価値を生み出せる」、言い換えれば「『良いもの』を還元できる」ので、それはその方が良かろうという感覚です。

これは、「社会に貢献すべきだ」という意識とは違います。僕は今まで、「もっと良い社会にするため」に映画を作ろうとしたことはない。自分が映画を作ったところで、社会が良くなるとも思っていない。そうではなくて、社会とはそれを構成している一人ひとりの人間で成り立っているから、そこにいる各人が「役目」を果たして充実感を得られている状態が、それぞれにとって最も望ましいのでは、ということです。逆に人間にとって不幸なのは、その人の強みや個性を存分に発揮できない場所で、充実感や自己肯定感を持てずにいる状態だと思うんです。

つまり、あくまで個々が与えられた役目をきちんと果たせることが第一プライオリティであって、その結果として社会がきっと良い方向に進んでいくだろう、っていう考えです。

△スクーのビジョン。田中さんの話す「自分の役目を果たすことが社会をよくする…」に通ずる

人はそれぞれ、社会で果たすべき「役目」を持っている。

スクーとの出会いは正直なところ、偶然によるものです。勤めていた企業が事業をクローズすることになり、当時の社長に紹介していただいたのがスクーだったんです。

社会人になっても学び続ける必要があるというメッセージについて、2018年に入社した当時の僕は純粋に「おもしろい!」と感じました。実は高校の推薦入試の時に「『本当の学び』とは何か書きなさい」という設問の小論文を書いたことがあり、それ以来「学び」は僕の中で大きなテーマになっていました。スクーのミッションやビジョンが、そこにバッチリ嵌まったのだと思います。

一方、スクーは学びによる社会課題の解決を目指す会社ですが、僕自身は全員が必ずしも社会課題の解決を目的として学ぶ必要はないと思っています。

学びって、受験のためとか出世のためとか、何かの目的に対する手段として捉えられることが多いですよね。でも僕は、一番『本当の学び』に近いのは、学ぶこと自体が目的である時じゃないかと思うんです。これを僕の定義では、「本人の中に『内部化』された行為」と呼んでいます。推薦入試の時も同じようなことを書いた記憶がありますが、自分が人間として生きていくための営みの中に、当然のルーティンとして学びが含まれている時、学びの本当の価値を感じることができるのではないかと。

先ほど話したように、それぞれが自分の強みを活かして社会の中で最大限「役目」を果たしていくためには、当然学び続けることが不可欠だと思います。どんな職業でも、例えば役職が変わればその都度新しいスキルを求められますし、企業や社会など、その人を取り囲む環境が変われば、当然その人が「役目」を果たすために必要な知識・スキルも変化するからです。

そういう意味で、僕が考える「本当の学び」とスクーのビジョンは、表現の仕方こそ違っても、結果的に目指しているところは同じだと思っています。どちらも究極的には、人々がより幸せになることが望みですから。

脚本家、そしてSchooのコンテンツプロデューサー。自分だからできる仕事を続けていきたい。

繰り返しになりますが、僕は社会の中で自分の得意を活かして「役目」を全うできている状態が理想だと考えています。自分にしかできない仕事と言うとおこがましいですが、「自分がいなかったらこの成果物は生まれなかっただろうな」と感じられる仕事を続けていきたいですし、それが結果として社会に良い影響を与えればより嬉しいなと。そういう仕事が、僕の場合は脚本家であり、Schooの授業コンテンツを生み出すことです。

脚本家・田中征爾としての今後の野望は、海外で世界中の観客に向けたコンテンツを作ることです。『メランコリック』で海外の映画祭を回った時に、海外のお客さんたちの反応がすごく面白かったんですよね。あの感動を、もっと大規模に感じられたら嬉しい。自分の作品をより多くの人に届けて、その反応が見たいです。

もう一つ、スクーの田中征爾としては、Schoo授業コンテンツがなぜ面白いのか、どうすればもっと良いものになるのか、ユーザーさんの感覚的なものの背後にある構造を、映像作品を作ってきた知見を活かしてあぶり出して、言語化していきたいです。それができるのが僕の強みだと自負していますし、その挑戦に楽しさを感じています。

今年からは企画ユニットのマネージャーになりましたが、オンラインで学習するサービスやプラットフォームがどんどん増えている中、Schooに求められている体験や学びの形を突き詰めていき、コンテンツに反映させたいと考えています。「どんな人がどんな時に、Schooを選んでくださるのか」を明らかにし、コンテンツで感動を届けて、その人の生活に少しでも喜びが増えること、それが実現できればこんなに嬉しいことはありません。


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