デンマークで痛感した日本のプレゼンス低下。地方の可能性を解き放ち、日本をもっと元気にしたい|円谷 幸子
埼玉県に生まれ育った円谷さんは、留学経験のあるお母様の影響で、幼少期から海外の人々や文化に馴染んで生活してきました。高校在学中の交換留学がきっかけでデンマークに興味を持ち、その後合わせて6年間をデンマークで過ごします。
国際社会における日本の在り方を客観的に見たことで、日本のプレゼンスが薄れていることに危機感を感じたという円谷さん。教育によって個々の能力を最大限に活かせる社会を作ることが必要だと考えています。
Schooが掲げる「学び」を起点とした社会課題解決に共感したのはなぜか、そして自身が携わる地方創生事業に感じる可能性について聞きました。
人生を変えたデンマークとの出会い。留学先に決まったのは「偶然」
幼い頃から母の影響で、海外の人や文化に触れて過ごしてきました。母は当時の女性にしては珍しくイギリスへの留学経験があり、家の中ではよく海外の音楽が流れていましたし、海外の友人も多い人でした。
そんな環境で育ったので、私自身も「日本とは違う世界」に強い興味があり、高校生の時に交換留学のプログラムに応募しました。私はデンマークに1年間留学し、すっかりデンマークの虜になりました。このデンマークとの出会いは後に、私の人生と切っても切り離せないものになるのですが、当時参加したプログラムでは留学先を自分で選ぶことはできなかったので、私の受け入れ先がデンマークに決まったのは、「偶然」でした。
大学に進学した後、環境問題に興味を持つようになりました。環境問題に対して民主的なアプローチをとっているデンマークの事例に出会ったことがきっかけで、大学院で環境政策を専攻することを決意。こうして私は2度目の「偶然」によって、大学院で再びデンマークに留学しました。
大学院修了後、縁あってスカンジナビア政府観光局という、デンマーク・スウェーデン・ノルウェー政府の外郭団体に入局し、3カ国の観光プロモーションに従事することになりました。2年ほど勤めた頃、世界で環境認証や環境教育プログラムを展開する国際NGOの日本支部を設立するプロジェクトが局内で立ち上がり、そこに参画しました。数年かけて団体の設立から国内での実績づくりに奔走した後、デンマークの本部に移ることになりました。
実に3度目の、デンマークでの生活のスタートです。
「日本」の存在感はこんなに薄かったのか?国連会議で感じた焦り
デンマークで所属していた国際NGOは、環境教育の分野では実績のある団体だったので、国連機関などが主催する国際会議に参加する機会に恵まれていました。ある時、気候変動枠組条約締約国会議(COP)に参加したのですが、その場で世界の注目を集めたのはインドや中国、そして環境破壊によって今まさに国土自体の存続の危機にある国の人たちでした。そして、その場をまとめ、リードするのは欧米諸国の人たちといった状況でした。
一方で日本は、まったくと言っていいほど存在感がありませんでした。少なくとも私が参加した会合では、日本に意見を求められたり、意見を発する場面が一度もなかったのです。国際社会での日本のプレゼンスが薄まっているのを目の当たりにして、「このままではまずい!」と焦りを感じました。
日本にも社会課題に対して先進的な取り組みをしている人や企業はいるのに、思うように注目されないのは、アピールが不十分なせいではないか。日本が世界で再び存在感を放つためには、自分たちの持つ価値を再認識し、それを国際社会に発信できる人材を増やさないといけない。そんな人材を育てる教育が、いま日本にも求められている!そう思いました。
もっと柔軟に、大胆になっていい。個々の能力を最大化できる社会になるために
デンマークで4年間働いた後、生活の拠点を再び日本に移し、さっそく教育系スタートアップに就職しました。ただ、NGO時代から青少年への教育に携わる仕事をする中で感じたのは、彼らがどんなに学んで力をつけても、それを受け入れる余地が社会になければ活躍できないということです。個々の能力を最大限に活かせる社会にするためには、受け入れる側、つまり大人たちへのアプローチこそが重要。この気付きは、その後出会うスクーのミッションへの共感に繋がりました。
また、デンマークでは多国籍の仲間と仕事をするのが当たり前だったので、帰国して日本人だけの組織で働いて気付いたこともありました。多くの日本人は真面目で責任感があり丁寧なので、安心して仕事を任せられます。それは他の国民にはなかなかない素質であり、長所だと思います。一方で、真面目さゆえにアクションの前に必要以上に考え込んでしまったり、失敗を恐れるあまり挑戦しづらい雰囲気があるように思います。
私が関わってきた世界の人々は時間や規則にルーズなこともありましたが、裏を返せば柔軟性があり、多様性を受け入れる文化もありました。会議での発言ハードルの低さや新しいことへの挑戦のしやすさは、日本の組織には無い強みだと思います。日本人の強みは堅持しながら海外の良さも取り入れていけると、もっとイノベーションが起きやすい組織に変えられるのではないでしょうか。
日本の可能性も、自分自身の可能性も解き放ちたい。
私が所属する地方創生・スマートシティ推進室は、地方の可能性を解き放つことが1つ目のミッションです。インターネットを活用して優れた教育を都心部以外にも提供することで、人々の可能性を広げることを目指しています。
それと並行してスクーは今、「社会人教育を提供する会社」から「社会課題を解決していく会社」へと進化している真っ最中です。時には「教育」という枠にすらとらわれず、コンテンツや人との繋がりなど、スクーがこれまで資産として培ってきたあらゆるものを使い、柔軟なアプローチでさまざまな社会課題を解決していくこと、その仕組みを「発明」することが求められています。私が所属する地方創生・スマートシティ推進室は、その新たなチャレンジに先陣切って取り組んでいくポジションでもあります。スクーの未来の主力事業を育てるというもう1つのミッションに大きな責任を感じるとともに、これまでの自分の経験を活かして新たな0→1に存分にチャレンジできることに、とてもワクワクしています。
そして私個人としても、あらゆる固定観念にとらわれず、自分自身に蓋をしない生き方を貫きたいです。人生100年時代と言われる中、世界の変化のスピードは加速しています。その変化の中で生き抜いていくためには、自分自身も変化し続けなければいけません。だから、いくつになっても新しいことに前向きにチャレンジしたいですし、そんな人や企業がもっと増えたら、日本はもっと活気づいていく気がします。