学び続けることを当たり前にして、アートの「入り口」に立つ人を増やしたい。|竹下 想
Schooでデザイナーとして活躍する一方で、美術家として作品作りやギャラリー経営も精力的に行っている竹下さん。元々は建築デザインを学んでいましたが、東日本大震災で被災した時の体験がきっかけで、コミュニティデザインや美術活動を始めたそうです。
「不確実性の高い現代社会で、ビジネスや政治の側からは規定できない別の価値観や視野を獲得できるのがアートの力。アートを通して、様々な課題に対する新しい出口を想像する人を増やしたい」と語る竹下さん。
美術家として活動しながらSchooでデザイナーを続ける理由とは何か、聞きました。
美術家・竹下想を生んだ、震災時の強烈な原体験
「学び」を支援するSchooのメンバーではありますが、僕は小中高と、学校の成績は決して良くありませんでした。ただ理系が得意だったのと、父が美術系の企画職で幼い頃から図録とかに触れて育ったせいか美術には興味があったので、担任の先生の勧めに乗って建築の学科に進みました。
大学では建築・環境デザイン学科というところでフィールドワークからモデリングまでトータルでの建築デザインを学んでいたのですが、図書館に籠って建築の本を読み漁るうちにどんどん面白くなってきて、建築の世界にのめり込んでいきました。
そうして大学4年になり、仙台で開催されていた「せんだいデザインリーグ卒業設計日本一決定戦」を見に行っていた時に東日本大震災が起きて、被災してしまったんです。設計に時間を要する建築デザインは、震災時にはシェルターとして人を守る役割を持つ建築を設計することができても、被災直後に専門性を生かすことはできなかった。
しばらく避難所を転々としながら過ごしたのですが、交通網がロックされる中、僕を無事に家まで帰してくれたのは、人と人とのコミュニケーションでした。
例えば、地震の直後はパニックになってしまい、建物から出るのも指示に従って動くことしかできません。街は停電し、公共交通機関も全滅、そして初めての土地。マンションのエントランスに避難されていた人たちに混ぜてもらい一晩過ごしたり、関西まで帰る方法を聞きつけては教えてもらいました。その他紹介できない多くの人のお陰で、1週間ほどかけて関西に戻ることができました。
この時、世の物事は物質的なものだけではなく、人同士の相互作用によって動いているということに気づきました。
そこで、当時建築系で注目を集めていた「コミュニティデザイン」という、社会問題や課題を抱えている地域に出向いて街の人と一緒にデザインの力でコミュニティとなる「場」を作っていくプロジェクトに参加してみることにしたんです。
僕は元々コミュニケーションが得意ではなかったので、コミュニケーションの手法を学ぶことが目的でした。廃業した製材所、放置された竹林などで地域の人とのワークショップを通してコトやモノをデザインしていていました。コミュ力に自信がなかった僕にとってこの時期は試練の日々でした。
またこの頃、震災に対する僕なりのアクションとしてもう一つ、震災を題材にしたアート活動も始めました。より離れた時間軸で届けることのできる美術という媒体に可能性を感じたんです。最初は写真を撮るところから始めて、色々な作品を作っていました。
コミュニティデザインを経てたどり着いた、学び×インターネットによるアプローチ
コミュニティデザインを実践していた時に、目の前にいる人にしかアプローチできないという新たな課題にぶつかりました。もう少し大きなスケールで物事を考えるには、インターネット上のアーキテクチャという「情報の建築」を作らないといけないと思ったんです。
当時いくつもの業界で「結局は教育が良くない」「若者が学ばない」という論調があったのと、ITというものは多くの人にアクセスできるし、もっとより大きな構想ができるんじゃないかと。
つまり、学び×インターネットの二軸が揃えば、教育によって人々のリテラシーを底上げできて、様々な課題解決に向けた深い議論に到達できるんじゃないかと思いました。
そんな時に、コミュニティデザインに参加していた学生の間でSchooが話題になり、まさに僕が考えている学び×インターネットの領域の面白いサービスだったので、入社することを決めました。
美術家である自分が、Schooのミッション実現を目指す理由
Schooに入社したばかりの頃は「アートを広めたい」という気持ちもあったのですが、美術家として活動を続けるうちに、僕自身の考え方が少しずつ変化してきました。
僕は、美術作品にはコトやモノとは少し距離を置いて、ツッコミを入れる役割があると思っています。例えば、誰かが「これが正義だ!」と主張したとして、それに対して一歩引いたところから「その正義は本当に正しいのか?」と問いかけることが美術の仕事です。
今、そしてこれからの時代、社会の不確実性はますます高まっていきます。そんな中、ビジネスのロジックで導き出せる出口とは別の出口をアートを通して想像し、別の価値観や視野を獲得する。アートを通して別の可能性への入り口を探ると言ってもよいでしょう。
ビジネスや政治が作る世界観の中で生きるだけではなく、アートが生み出す想像力の側からビジネス・政治の側へ影響を及ぼすこと。そういう力がアートにはあると、僕は信じています。
だから、そんなアートを楽しんで鑑賞できる人を増やしたい、アートの可能性を感じてもらいたいというのが、今の僕の想いです。
そして、多くの人が勘違いしていることですが、アートとはそもそもその場で理解できるような結論ありきのものではありません。
作品を目にした後、家に帰って作品や紐づく歴史を振り返りながら解釈し直すことで、ようやくその一部分が理解できてくる。特に今僕が扱っている現代美術はハイコンテクストなものなので、少なくとも歴史背景を知らないと作品のごく一部しか理解することができません。
考え続けたり学び続けたりする姿勢が身についてないとアートの本質は楽しめないし、様々なことに興味を持って学びたいと思ってくれる人でないと、そもそもアートまで届きもしないんです。
Schooは学びが好きな人に機会を提供するだけではなくて、学びに消極的な人や一人では学び続けられない人にも色々な語り口で学びを提供しようとするサービスですよね。それが僕はすごく良いなと思っていて、Schooみたいなサービスによって学ぶ大人を1人1人増やしていくことが、結果として人々をアートの入り口に立たせることに繋がると思っています。
だから僕は、美術家としての活動と並行して、Schooの「世の中から卒業をなくす」というミッションの実現にも全力で取り組んでいます。
Schooのデザイナー、ギャラリー経営者、そして美術家。3足のわらじを履きこなして。
これまでSchooでは授業画像の制作からアプリのUIデザイン、ロゴリニューアル、最近ではスクールガイド作成といったブランディングプロジェクトに携わってきました。2021年からは業務委託という形でSchooに参画しつつ、拠点を京都に移して美術家として活動をしながら自分のギャラリーも経営しています。それぞれ別の手法なだけで、僕の中で一貫した活動です。
現状、美術業界が成り立つためには企業の支援や政府の助成金といった経済的な支援が必要な場面がほとんどで、そうするとどうしても企業のブランディングや政府が期待する作品に寄らざるを得ない。それに対して僕たちのギャラリーでは、作家が自由に表現できるように経済的に独立したエコシステムを作ろうとしています。
ただ、僕は元々震災に対するアクションの一つとして、時代を超えて多くの人に届けられる美術に可能性を見出したと話しましたが、そういう環境で生まれた自由な作品は往々にして人に理解されないものなんです。
そのまま理解者が0だったら、いつしか身内だけでしか語られない言葉で表現されるようになってきて、永遠に成長しない。外部の新しい鑑賞者を取り入れていくことで初めて、色々な言葉で語られるし、もっと遠くへメッセージを届けることができる。そういう状態を作っていかないといけないんです。
そのために、僕としては一人の美術家としてギャラリーを作りつつ、Schooのようなサービスによって外の方にアプローチできる技術の力を信じています。Schooが掲げる「世の中から卒業がない」状態を達成できたら、僕らのこの独立したギャラリーでも、作品を理解してくれる人が増えるんじゃないかと。
Schooは僕が入社した2015年時点と比べて社員数が倍くらいに増えて、組織として多様かつ複雑になってきました。それによって難しいことも増えたと思う一方で、僕はその難しさを楽しいと感じるタイプなので、内心で「よし良いぞ!面白くなってきた!」と思っています。
事業も成長して、より大きなことを構想できるようになってきました。当時は考えられなかったことを想像できるようになってきているので、僕はその想像をデザインの力を使って「実践」していきたいです。
株式会社Schoo
http://corp.schoo.jp/
MISSION:世の中から卒業をなくす
VISION:インターネット学習で人類を変革する